
料理教室のあゆみ 6
やっと公開にこぎ着けた。やった! ホームページも満足 とまでは いかないにしても、なかなかの出来栄え。 …が、しばらく経っても 申し込みはおろか、なんの音沙汰もありません。 えっ? って感じです。 が、当たり前ですよね。 アドレスを知っている生徒様しか見ていないんですから…。

やっと公開にこぎ着けた。やった! ホームページも満足 とまでは いかないにしても、なかなかの出来栄え。 …が、しばらく経っても 申し込みはおろか、なんの音沙汰もありません。 えっ? って感じです。 が、当たり前ですよね。 アドレスを知っている生徒様しか見ていないんですから…。

もっと多くの人にお料理を広めたい。 おいしいお料理がこんなに簡単に作れて 人にも喜んでもらえるんだと沢山の人に知ってもらいたい。 そんな思いはずっと持ち続けていました。 ・・・そんな気持ちから考えたのは 料理を作る工程をビデオに撮って詳しく解説し、インターネットで流す、というものでした。

毎月ゝ生徒様が少しづつ増え、それにつれて自分の時間もなくなってきました。 ほとんど毎日レッスンとその買い物に追われる日々。 家族の食事は毎食 試作料理。 性格上、手を抜くというのができない私は 全てを完璧にしようとしました。

最初、生徒様をお迎えした時はとても、とても緊張しました。 なにせ、これから始まる時間、ここでの価値にお金をお支払い頂くのですから、その全責任は私にはあります。 が、こちらの緊張とは裏腹に、年代は違っていましたが皆様和気あいあいと、楽しくお料理して ワイワイご試食頂き、お陰で私の緊張もほぐれてきました。

1時間30分ほどかけて出かけていったそのお教室は 普通のお家で、50代くらいの主婦に見える(失礼 m(- -)m)先生が、これまた主婦を集めて教室をしている、といった風なお教室でした。 その先生はとても楽しそうに「私はこの仕事が生きがいなの。一生していたい」といきいきされていたのがとても印象的でした。 レッスンは 『懐石料理』というものの、お料理は家庭料理風。

お料理は好きな事だし、家にいてできる仕事だから 子供が小さくても負担がかからないし、何より自宅でするのだから リスクもないし…。 本荘さんに勧められ、初めて本格的に料理教室を考えてみようかな、と気持ちが動き始めました。 が、何から始めていいやら・・・。 どうやって宣伝しよう?どんなコースにするのか? 金額は? すべてが初めての事ばかり。 不安が一杯です。

二人目の子供が生まれ、半年経った頃、阪神淡路大震災がありました。 その頃はマンションの10階に住んでいましたから 相当揺れました・・・。 が、なんとか倒壊を免れ、日々散乱した家の片づけに追われながらも、ご近所の方とも交流するようになりました。 それまでは挨拶程度だったお隣の本荘さんとも 震災を機に仲良くお付き合いするようになったのは その後の展開につながっていくんですよね・・・本当に何がきっかけになるかわかりません。

子供が小さいころ、近所のママ友達と よく持ち寄りパーティをしていました。 元々作る事、喜んでもらう事が好きな私は、張り切って色んなものを作っていました。 レシピを聞かれたり、作り方を教えて~となり、そのうち 「お友達何人か集めるから、料理の講習会を開いて」という事になってきました。

学校を卒業し、私は料理とは全く関係のない、商社に就職しました。 その頃 流行りだった、『花のOL』に憧れて、神戸の貿易商社に。 が、勤務地は大阪、しかも総務課でした。 元々英語を使った仕事、父が少しやり始めていた貿易の仕事を勉強するためにも 携わりたかったのに、配属されたのは全く違う職種でした。

そんなこんなで、学生ながら 家に帰ると食事の支度が当たり前のようになっていました。 …何で私ばっかり。 友達は皆、遊びに行ってるのに何で私はご飯作り…? 不満もたまっていましたが、忙しそうな母を見ていると、それも言えず・・・。