料理教室のあゆみ 2

    1時間30分ほどかけて出かけていったそのお教室は 普通のお家で、50代くらいの主婦に見える(失礼 m(- -)m)先生が、これまた主婦を集めて教室をしている、といった風なお教室でした。

    その先生はとても楽しそうに「私はこの仕事が生きがいなの。一生していたい」といきいきされていたのがとても印象的でした。

    レッスンは 『懐石料理』というものの、お料理は家庭料理風。

    本格的な日本料理を習っていた私にとって、少し衝撃でした。

    自分のお料理や技術に自信を持って良いんだ、と やる気にさせてくれたのはこの瞬間でした。

    気づいたら「やる!!」と決めていました。

    思うと、あのお教室との出会いは、あまりのタイミングの良さに偶然ではないように思えてなりません。

     

    その帰り道の電車の中では、もう教室の構想で頭が一杯です。

    日本料理が得意分野だった私は、「懐石コース」は絶対しよう。

    それだけでは敷居が高く感じられるから「家庭料理コース」もしよう。

    パンやケーキ、デザートも自分が好きでン十年作り続けていたものだから、これも外せない。

    という事で、3コースを設定しました。 金額は、知人や友人など何人もの人に意見を求めてその中から 決めました。

    金額が決まったら、いよいよチラシ作成です。

    その当時はパソコンなどなかったので、ワープロ(懐かしい?)で文書作成。

    今考えると とってもな堅苦し〜い「料理教室」と明朝体で大きく見出しが書かれたチラシでした。

    3種類の簡単なコース紹介と 金額のみ。

    『栗田料理教室』 『電話番号』 ・・・おわり。

    今思うと、よくあのチラシでお越し下さったなぁと 我ながら感心です(笑)

    近くのコンビニでコピーをして、それを持ってご近所にチラシ配りです。

    世間知らずの私は、50枚配ったら、10件くらいは電話かかってくるだろう、と配った翌日は家から一歩も出ず、待機です。

     

    が、電話は一向になりません。だんだんモチベーションも下がってきます。

    来る日も来る日も コピーしてはチラシ配り。

    その時はとても惨めでした。

    子供を保育所に預けて、私はいったい何をしてるんだろう?と情けなくなる時もありました。

    休みの日には夫にも手伝ってもらってチラシ配りです。

     

    この当時は宣伝手段と言えば チラシか広告が主体。

    思い切って 地域のミニコミ誌にも広告を出すことにしました。

    が、集客できるかどうかわからないものにお金をかけるのにはとても勇気がいったのを覚えています。

    たった4~5行の文字のみ。

    『簡単でおいしい和・洋・中を月替わりで。栗田料理教室』

    こんな文章のみで何の情報もない広告でしたが、パラパラと電話がかかってくるようになりました。

    チラシの効果もチラホラ出始め、ようやく3名ほど集まり、料理教室が開催できたのです。 1999年7月の事でした。