料理教室のあゆみ 3
最初、生徒様をお迎えした時はとても、とても緊張しました。 なにせ、これから始まる時間、ここでの価値にお金をお支払い頂くのですから、その全責任は私にはあります。 が、こちらの緊張とは裏腹に、年代は違っていましたが皆様和気あいあいと、楽しくお料理して ワイワイご試食頂き、お陰で私の緊張もほぐれてきました。
最初、生徒様をお迎えした時はとても、とても緊張しました。 なにせ、これから始まる時間、ここでの価値にお金をお支払い頂くのですから、その全責任は私にはあります。 が、こちらの緊張とは裏腹に、年代は違っていましたが皆様和気あいあいと、楽しくお料理して ワイワイご試食頂き、お陰で私の緊張もほぐれてきました。
1時間30分ほどかけて出かけていったそのお教室は 普通のお家で、50代くらいの主婦に見える(失礼 m(- -)m)先生が、これまた主婦を集めて教室をしている、といった風なお教室でした。 その先生はとても楽しそうに「私はこの仕事が生きがいなの。一生していたい」といきいきされていたのがとても印象的でした。 レッスンは 『懐石料理』というものの、お料理は家庭料理風。
お料理は好きな事だし、家にいてできる仕事だから 子供が小さくても負担がかからないし、何より自宅でするのだから リスクもないし…。 本荘さんに勧められ、初めて本格的に料理教室を考えてみようかな、と気持ちが動き始めました。 が、何から始めていいやら・・・。 どうやって宣伝しよう?どんなコースにするのか? 金額は? すべてが初めての事ばかり。 不安が一杯です。
二人目の子供が生まれ、半年経った頃、阪神淡路大震災がありました。 その頃はマンションの10階に住んでいましたから 相当揺れました・・・。 が、なんとか倒壊を免れ、日々散乱した家の片づけに追われながらも、ご近所の方とも交流するようになりました。 それまでは挨拶程度だったお隣の本荘さんとも 震災を機に仲良くお付き合いするようになったのは その後の展開につながっていくんですよね・・・本当に何がきっかけになるかわかりません。
子供が小さいころ、近所のママ友達と よく持ち寄りパーティをしていました。 元々作る事、喜んでもらう事が好きな私は、張り切って色んなものを作っていました。 レシピを聞かれたり、作り方を教えて~となり、そのうち 「お友達何人か集めるから、料理の講習会を開いて」という事になってきました。
学校を卒業し、私は料理とは全く関係のない、商社に就職しました。 その頃 流行りだった、『花のOL』に憧れて、神戸の貿易商社に。 が、勤務地は大阪、しかも総務課でした。 元々英語を使った仕事、父が少しやり始めていた貿易の仕事を勉強するためにも 携わりたかったのに、配属されたのは全く違う職種でした。
そんなこんなで、学生ながら 家に帰ると食事の支度が当たり前のようになっていました。 …何で私ばっかり。 友達は皆、遊びに行ってるのに何で私はご飯作り…? 不満もたまっていましたが、忙しそうな母を見ていると、それも言えず・・・。
神戸市の自宅、その頃はマンションで料理教室をスタートさせました。 かれこれ20年以上前の事です。 それ以後、料理に明け暮れる(?)毎日。 好きな事を仕事にできる幸せ。 と言うより、好きな事で人に喜んでもらえる幸せは、何にも替えがたいと、日々感謝です。